【第522項】
 尼僧修道院、サン・チャゴ騎士団修道院とサン・ベント・デ・アヴィス騎士団托身修道院は多大の被害を受けた、サンタ・アンナ修道院では教会および古い僧坊の片側が崩れた。サンタ・クララ修道院では教会と修道場が全壊に近い。望徳修道院でも多くの箇所が破壊された。聖母マリア修道院では外壁に被害を蒙り、サンタ・アポリア修道院も同じ結果である。アヌンシアド修道院とその教会も多大の被害を受けた。サンタ・モニカ頌歌修道院では教会を別として全壊した。救世主修道院の被害は小さいが、教会が倒壊した。受難修道院も同じ結果である。薔薇修道院とその教会は多くの被害を蒙った。トリナスド・モカンボ荘厳修道院も著しく破壊された。しかし、カンポリド施療修道院は損傷を免れた。カルメル会サント・アルベルト修道院は多少被害を受け、カルダエス聖母受胎修道院はかなり損傷した。十字架修道院はほどんど破壊された。ベルナルド会ナザレス修道院は全壊した。


 
【第514項】
 火災によって焼尽した貴重な品々のなかで、あまた浩瀚な書籍の喪失が学者には痛恨の極みである。随一とされる王室図書館には貴重な書籍がきわめて多数蔵されていた。そこには英知と度量の発露として国王ジョアン・マクシモ五世が、近年の莫大な書物に加えて、ヨーロッパで渉猟されたあらゆる古書や優れた稿本の複写を収められたのである。
【第515項】
 ルリサル侯爵の広壮な四棟の建物は稀覯本や優れた稿本で満たされ、飾られていた。博学のエリセイラ伯爵のもとで始められたのち、それはフラシスコ・ザビエル・メネゼス伯爵によって完全なまでに追補され、後者の英知と該博な識見は歿後ポルトガルと全ヨーロッパで称讃を博した。
【第516項】
 サン・ドミンゴ修道院の図書館はふたつの広壮な建物から成り、博学なベネディクト修道士フランシスコ・レイタオ・フェレイラの蒐集による多数の稀覯本や稿本を蔵していた。マヌエル・ギルヘルム神父の高配とふたりの司書の協力によって、これらの公刊と増補がすでになされていた。

リベイラ王宮とリベイラ河岸におけるへの地震・津波・火災
『リスボンの壊滅』 制作フランス 18世紀後半?(リスボン市史料館)
 

落成半年後に焼失した王立歌劇場 『版画集 リスボン荒墟の偉観』
(多色版)Casa da Opera 
Collecao de algumas ruinas de Lisboa.
王立歌劇場の再建として、1793年に完成したドン・カルロス
国立劇場。旧跡より300m離れた高台にあるが、内部は以前の
構造を留めている。(Teatro nacional de Sao Carlos)
  図説 リスボン大地震通覧V-リベイラ王宮と大建造物の破壊 
  
     モレイラ・デ・メンドンサ著『世界地震通史』と往事ポルトガルの絵図

〈下図〉17世紀リスボン近郊
のマードレ・デ・デウス尼僧院
とザブレガス河岸一帯


托身修道院門前(ガメイロ画『リスボン懐古』)

【第523項】アンパーロ孤児院、保護施設、さらにはおよびサン・クリストヴァオ教区の保護施設、改宗者のための聖霊カルダエス修練所も多大の被害を受けた。
【第524項】サンタ・クルス・デ・カステロ教区ではサン・ミゲル僧院と聖霊僧院、アンジョス教区ではモンテ僧院
(サン・アゴスティーノ僧院の旧蹟)とイエスズ・マリア・ジョゼフ僧院が多大の被害を受けた。サント・エステヴァオ教区では施療教会とその病院、サン・ジョゼフ教区ではサン・ルイズ・ダ・ナカオ・フランザ教会、救援教会教区では保健教会、処罰教会教区では由緒あるサン・ラザロ僧院、托身教会教区では清貧聖職者聖母受胎教会も同じ結果に至ったの。

〈右図〉ルリサル=エルセイラ邸が位置したアヌンシアダ広場.長い坂を登ると、
丘陵にはトレル展望台、ペナ教区教会、托身修道院と続く。(SELF)

〈右図〉ペデガシェ素描『リスボン荒墟の偉観』の冒頭を飾るサン・
ロケの塔(総大司教の塔)Torre de S. Roque chamada vulgarmente
Torre do Patriarcha, Collecao de algumas ruinas de Lisboa, 1756

アルファマ北方に聳える壮大な慈恵教会と慈恵修道院 (その礼拝堂、鐘楼、聖器室、図書館、修練館) Igreja e covent da Graca

第3代エリセイラ伯爵ルイス・デ・メネーゼスは歴代の学識と蔵書で著名な
ルリサル公爵家に生まれ、コルベールの重商主義から深い影響を受けた。
ペドロ2世治下の財務相として彼は自国産業の育成を目指し、毛織物等の
マニュファクチャを設立したが、地主貴族らの抵抗によって挫折し、不幸な
最期を遂げた。大地震以降におけるポンバルの啓蒙主義的改革はこうした
悲願の継承とされる。

ナオス河岸の造船所を視察するジョアン2世(ガメイロ『ポルトガル歴史絵図』) 
D..Joao II examina a construcao das Naus. Gameiro, Quadros da Historia de Portugal.
.

 
14世紀の末葉ジョアン2世はこの地に造船所を建設し、海洋王国の基礎を固めた。1500年これに隣接して新たな
王宮、リベイラ王宮の建設が開始される。造船所の発展とともに海運業者や貿易商人の拠点新町界隈が形成され、
新王宮の一帯には省庁の本部や商易・拓殖の機関が林立した。

アズレージャ(彩色陶板)震災前のリスボン 1720年〜1725年制作
       国立アズレージャ美術館(旧マードレ・デ・デウス尼僧院)所蔵

16世紀に創建されたマードレ・デ・デウス尼僧院。
大地震の被害は軽少で、大勢の被災者を受けいれる
とともに、傷病者のため治療所が設けられた。
国立アズレージャ美術館に改組されたあとも、
豪華な礼拝堂と典雅な回廊が保存され、瀟洒な庭園
やレストランで憩う来訪者も多い。(SELF)

7/通覧V

〈左図〉ルリサル邸の真向い、ドミニコ会アヌンシア教会。1539年創設の修道院とともに、ここも甚大な被害を受けた。(Olhares)

 絢爛たる礼拝堂と対照的に、やや質素なサン・ロケ教会の正面。(SELF)

 リスボン旧市街の市門と市壁に築かれたサン・ロケの塔は、アルヴァロの塔とも呼ばれ、外敵から王都を防衛する象徴でもあった。大地震によって跡形もなく破壊されたが、サン・ロケ教会の正門とともに三位一体広場のほぼ中央に位置したと考証されている。正門と礼拝堂を隔てる空間には中庭が配され、右横のサン・ロケ資料館はかってイエスズ会直属の施療院であった。
【第521項】A
 イエスズ会のサン・アンタオ・ドス・パドレス・コレジオでは高貴な教会の穹窿が墜落し、僧院の広い廊下が著しく破壊された。 サン・ロケ誓願所(サン・ロケ教会)では正門が倒壊し、鐘塔などの建築が破壊された。コトビア修練院は教会と僧院に被害を受けた。サン・フランシスコ・ザビエル・コレジオ、ナザレス・アロイオス修練院、そのほかイエスズ会の建物すべても同じような結果となった。サン・フランシスコ第三修道会のイエスズ修道院も教会と僧坊が著しく破壊された。サン・パウロ修道院の崇高な聖体は宝庫に蔵され、損傷を免れた。神慮による破壊は巨大であり、イギリス系のサン・ペドロ・コレジオとサン・パウロ・コレジオへも及んだ。サン・ペドロ・アルカントラ修道院とその教会も瓦解した。カプチン会サント・アントニオ修道院も著しく破壊され、その教会も倒壊した。サン・ベント会エストレラ修道院では教会が全壊した。荘重なサン・ベント修道院、イエスズ・ボアモルテ修道院、跣足カルメル会アレマエン修道院とそのサン・ジョアン・ネプミュセノ教会は軽少な被害であった。
4/通覧V
リベイラ河港東部と背後のサン・ヴィセンテ教会とサンタ・アングラシア教会(SELF)


【第521項】@
 大きな建造物はすべ
て深刻な破壊を蒙った。豪華な聖アウグスチヌス会サン・ヴィセンテ参事員教会では穹窿も破壊され、正面を飾る碧玉や宝石の彫像も崩れたが、修道院の被害は軽少であった。慈恵修道院と慈恵礼拝堂では大きな教会、充実した聖器室、修練士の館、麗しく浩瀚な図書館が倒壊した。そこでは蔵書も大きな被害を受け、美しく新しい回廊、さらには鐘楼などの建物も著しく破壊された。同じ修道会のペンハ・フランカ修道院では教会が倒壊し、僧坊と回廊が著しく破壊された。この宗派に属するサント・アンタオ父修道院では教会が倒壊し、僧院が破壊された。

タピスリー「ヨハネ黙示録」アンジェ城所蔵 フランス、1380年制作。

      神の怒り その3
   『新約聖書ヨハネ黙示録』第8章
 ここに喇叭を持てる7人の天使、奏する用意をなせり。
第1の天使奏せしとき、血を混えたる雹と火降り注ぎ、
地の3分の1、樹の3分の1、すべての草を焼き尽せり。
ついで第2の天使奏せしとき、燃える山塊海に投じられ、
その3分の1血に染まり、海の生物3分の1は絶滅し、
船舶3分の1も破壊されたり。
   L'Apocalypse, La Bible de Jerusalem
.

〈左図〉聖霊修道院は貴重な図書館もろとも
壊滅したが、ここに居住したフゲイルド神父
とポルタル神父はそれぞれ重要な震災記録を
書き遺した。とくに後者の記述は身辺の状況
と被害について委細を尽している。

 【第517項】
 (オラトリオ会)聖霊修道院にも広範で
精選された図書館およびマリアナと呼ばれる
図書別館があり、ドミンゴ・ペレイラ神父
によって設けられた.。別館は聖母マリアに
関する膨大な蔵書で珍重されていた。
 

ナオス河岸の埠頭、王立造船所、コルト・レアール宮殿.1541年
フランシスコ・ザビエルはここからアジアへ布教に出発した。
(Restos de coleccao)

【第513項】
 同じく被害を受けたのは王立税関所の大建築、インド商館、測候所、領事館、王立会計院、七商館である。王宮広場、ナオス河岸、コンソラカオ門前の国際市場とその倉庫、王立裁判所法廷、行政評議会、財政評議会、海外評議会、信教評議会、ブラガンサ館、戦時会計総院、将校宿舎、貯蔵倉庫庫とその広大な事務局、王国・戦争・航海の諸省庁もこれに含まれる。なお、官庁の本部は王宮の敷地にあり、それらの文書保管所では無数の蔵書や書類を喪失し、国家と諸機関に多大の損害を与えた。また、アルジューベの聖職者懲戒所ふたつとトロンコ監獄も同じく炎上した。
【第512項】
 焼尽した殿閣を挙げると、第一はリベイラ王宮であって、マノエル国王によって創建され、引き継きフィリッペ二世のもとで豪華にされたあと、今世紀に至り贅沢な建造による優美な広い回廊を増築され、先頃きわめて壮麗な王立歌劇場がヨーロッパ諸国で称讃を博し始めていた。ついで孤児院を付設するコルト・レアール宮殿(以前にも大火を蒙ったことがある)、ブラガンサ公爵邸(宝物殿とされていた)、アラフォエンス公爵邸、アヴェイラ公爵邸、ヴァレンス・アンジェジャ侯爵邸、フロンテイラ侯爵邸、カスカエス侯爵邸、サン・ティアゴ伯爵邸、リベイラ伯爵邸、キュキュリム伯爵邸、ヴィラ・フォール伯爵邸、ヴァラダレス伯爵邸、アヴェイラス伯爵邸、アトゥギア伯爵邸、ヴェミエイロ=アルバ伯爵邸、バルバセーナ子爵邸。やや遠いがルリサル侯爵邸もこのとき焼尽した。
〈右図〉ポンバル政権のもとでイタリア大使等を歴任した第3代ルリサル侯爵
リンリック・デ・メンゼスとその家族(1770年頃)地震の直後アヌンシアダ街
の豪邸は火元のひとつとなり、先妻は嬢とともに死亡した。


復元図 サン・ロケ門から三位一体門へ (V.シルヴァ『フェルナンドの市壁』) 
Do Postigo de S. Roque ao Postigo da Trindade, Vieila da Silva A Cerca 
Fernandina de Lisboa.
1948.

 【第520項】
  地震によりサント・アンドレ教区教会、サンタ・カタリーナ教区教会、サン・マルティノ教区教会、サン・ペドロ教区教会、ペーナ教区教会、救援教区教会、サルヴァール教区教会、サン・ティアーゴ教区教会が完全に破壊された。また、ドス・アンジョス教会、サン・クリストヴァオ教会、サンタ・クルズ・デ・カステロ教会、サント・エステヴァオ教会、サン・ジョゼフ教会、サン・ロレンソ教会、サンタ・マリナ教会、メルセス教会、サン・トメ教会は多大の被害を受けたが、倒壊には至らなかった。ズ・ダ・ナカオ・フランザ教会、救援教会教区では保健教会、処罰教会教区では由緒あるサン・ラザロ僧院、托身教会教区では清貧聖職者聖母受胎教会が同様である。


2/通覧V
17世紀末のリベイラ王宮と王宮広場 (Terreiro do Paco, 1693, Jorge de Brito Collection, Cascais)

フランス系のサン・ルイズ教会。平素は
堅く門を閉めているが、日曜のミサには
堂内に礼拝者が溢れる。大劇場と海鮮
レストランが連なるサオ・アンタオ門街
から丘陵への登り口にある。(SELF)

 【第518項】
 同じようにカルモ修道院、サン・フランシスコ修道院、三位一体修道院、ボアホラ修道院に蔵される由緒ある優れた書籍も灰塵に帰した。それらと同じくどの豪邸でも貴重な蔵書が焼失した。
 【第519項】

 個人の蔵書も多数失われ、なかでも異端審問官シマーオ・ジョゼフ・シルベイロ・ロドのあまた精選された書物が非常に惜しまれる。五人の豪商の邸宅ではフランス語、スペイン語、イタリア語の書物が、またポルトガル書籍商25の店舗と邸宅でも大量の優秀な版本が焼失した。

    〈左図〉16世紀造船所の壮観  〈右図〉15世紀末葉ポルトガルの大型帆船
 ガメイロ画 『ポルトガルによるブラジル植民地化の歴史』 Gameiro, Historia da Colonizacao portuguesa do Brasil, 1921.

ポルトガルの植民地経営と交易・布教の拠点 1415-1999

6/通覧V
近代化の先駆者第3代エリセイラ伯爵
ルイス・デ・メネーゼス
(WIKI)
3/通覧V
5/通覧V

サン・ロケ教会の斜め左に斜向いに拡がるニザ侯爵邸
Palacio dos Marquese de Niza

サン・ロケ教会(礼拝堂)と三位一体広場。塔と正門の旧蹟は手前円柱の
あたりと思われる。Jgreja de Sao Roque e Largo Trindade

1/通覧V

9/通覧V

〈左図〉国立アズレージャ
美術館=旧マードレ・デ・
デウス尼僧院正門(SELF)