HOMEPAGE
関東大震災 100周年
リスボン大地震 268周年
東日本大震災 12周年
トルコ・シリア大地震 本年
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「この年11月に人類が体験した地震は規模の大きさに
よって後世のあらゆる世紀に想起されるであろう。
なぜなら、その影響は遺憾にもきわめて多くの地域に
及び、アジアのみが免れたからである。多くの悲惨な
事実が念頭に浮かび、それらの膨大さ、多様さ、深刻さ
が仔細に語るのを私に躊躇させる。だが、災厄の一端を
語るだけでも、巨大な全貌を知る手掛りになるかもしれ
ない。」
モレイラ・デ・メンドンサ著
『世界地震通史ーリスボン大地震』 リスボン、1758年
比較研究 (関東大震災1923年=リスボン大地震1755年
リスボン大地震における緊急政策・危機管理・救援事業
啓蒙思想をたずねて —フランス 1778年=1978年 | 『哲学と現代』第4号 | 1979 |
プラタナスの木陰で —パリの大学・フランスの学芸 | 『哲学と現代』第6号 | 1982 |
ヨーロッパの学界とルソー=ヴォルテール没後200年 | 『教育学研究』第45巻第4号 | 1978 |
エルヴェシウスー知られざる哲学者への旅路 | 松島鈞編 『現代に生きる教育思想』 | 1981 |
ソルボンヌ 1979-1980年 | 『教育哲学研究』第43号 | 1981 |
ヨーロッパの学界とディドロ歿後200年 | 『日本18世紀学会年報』第1号 | 1986 |
ジュネーヴから日本の友へ —史料探索の哀歓 | 『日本教育史研究』第2号 | 1983 |
弾圧した側の記録 —パリから日本の友へ | 『日本教育史往来』No.51 | 1988 |
オンタリオ湖のほとり トロント大学の夏 | 愛教大教職員組合ニュース | 2000 |
第五章 九月五日 協調会への救済要請 | 20 | |
第六章 九月六日 震災救援事務局と後藤新平の采配 | 14 | |
第七章 九月七日 遷都論への対処と埼玉救護団の始動 | 19 | 23/06/12 |
第八章 九月八日 貴衆両院からの協力と在日外国人への支援 | 16 | |
第九章 九月九日 救済機構への協議と天誅論の吐露 | 20 | 23/08/27 |
第十章 九月十日 有力実業家の善後会準備 | 14 | 23/08/21 |
第十一章 九月十一日 大震災善後会の成立と運営 | 13 | 23/08/13 |
第十二章 九月十二日 遷都論の阻止と詔勅の渙発 | 14 | 23/09/01 |
関東大震災 被災・救援・復興の証言 ー 渋沢栄一、周辺の群像、財界・政界の中枢ー |
頁数 | 更新(未完) |
第一章 九月一日 日本橋兜町の激震と渋沢栄一の被災 | 39 | 23/08/21 |
補説第一 金融界中枢の火災ー第一銀行と日本銀行の防衛 | 22 | |
第二章 九月二日 飛鳥山での避難と危機管理の提起 | 17 | |
補説第二 渋沢関連企業と大震火災ー帝国ホテル、渋沢倉庫、田園都市 | 27 | (23/08/20) |
第三章 九月三日 地元避難民への支援活動と海外からの見舞 | 24 | 23/10/26 |
補説第三 政局への震撼と救済・復興内閣の成立 | 24 | |
第四章 九月四日 救済政策の開始ー渋沢栄一と後藤新平の連携 | 14 | |
補説第四 大震災における皇室の対応と施策 | 14 | 23/10/04 |
巨大地震の発生
1755年リスボン市街地
リスボン大地震に伴う津波の規模
図中の数値は各地への到達時間
第五章 九月五日 財団法人協調会への救済要請 | 20 | |
第六章 九月六日 震災救援事務局と後藤新平の采配 | 14 | |
補説第五 渋沢家系の震災記録ー阪谷芳郎、渋沢元治、石黒忠悳 | ||
第七章 九月七日 遷都論への対処と埼玉救護団の始動 | 19 | 23/06/12 |
第八章 九月八日 貴衆両院からの協力と在日外国人への支援 | 16 | |
第九章 九月九日 救済機構への協議と天誅論の吐露 | 20 | 23/08/27 |
第十章 九月十日 有力実業家の善後会準備 | 14 | 23/08/21 |
第十一章 九月十一日 大震災善後会の成立と運営 | 13 | 23/08/13 |
第十二章 九月十二日 遷都論の阻止と詔勅の渙発 | 14 | 23/09/01 |
第十三章 九月十三日 大震災善後会の被災地視察 |
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補説第六 傷病者・産婦・高齢者の被災証言ー臨時診療所の調書 |
52 | 23/12/11 |
リスボン大地震1755年
緊急政策を推進する宰相ポンバル侯爵
リスボン大地震1755年 第三輯 緊急政策・危機管理・救援事業 | 頁数 | ||
論稿三ノ一 | 絶対王政の統治機構と緊急政策の基底 PDF | 29 | |
論稿三ノ二 | 緊急政策の開始ー大地震前日から震災第三日まで PDF | 124 | |
論稿三ノ三 | 緊急政策の推進その一 震災第四日・第五日 PDF | 115 | |
論稿三ノ四 | 緊急政策の推進その二 震災第六日・第七日 PDF | 73 | |
論稿三ノ五 | 緊急政策の展開その一 震災第八日から第十日まで PDF | 52 | |
論稿三ノ六 | 緊急政策の展開その二 震災第十一日から第十三日まで PDF |
渋沢栄一の創立、辰野金吾の設計による
第一銀行本店堅固な構造により焼失を免れる
兜町の渋沢栄一邸=渋沢事務所、憲法発布の前年に竣工
強震に耐えたものの、延焼により潰滅
メールをお寄せください
現在の研究課題
関東大震災 1923年
神田・日本橋付近全景
カルチェ・ラタンの熱気 —〈哲学者たち〉の若き日 | 1982 |
ジュネーヴの夏祭り —文化と民族への出会い | 1989 |
フランス国立図書館で | 1991 |
インド映画に惹き寄せられて | 1998 |
シネマ探索 世界への旅 —現代の映画と学生の関心 | 1997 |
パリ映画探索 1997年盛夏 —例会報告その後 | 1997 |
上図 東京商業会議所 貴衆両院議員と有力実業家から
成る救済機関、大震災善後会がここを本拠に支援を開始する
左図 常盤橋袂日本銀行の偉容 総裁以下行員
必死の消火活動で金融の中枢が防衛された。
論 題 |
頁数 | ||
論稿六の一 | ジャマイカ地震1692年 (イギリス領その一)pdf | 44 | |
論稿六ノ二 | ニューイングランド地震1727年(イギリス領その二) | ||
第一章 マサチューセッツ最高法務官ダドリーの地震報告ーロンドン王立協会への寄稿 pdf | 15 | ||
補論 ダトリー家族史ーピューリタンの歴史とニューイングランド建設pdf |
6 | ||
第二章 ニューイングランド居住者の王立協会寄稿pdf | 10 | ||
第三章 ニューイングランド聖職者の地震説教ー大地震の衝撃と破滅からの救済 | 64 | ||
論稿六の三 | ペルー地震1746年(スペイン領その一) | ||
第一章 スペイン海軍将軍オバンド侯爵の震災書簡pdf | 12 | ||
第二章 イエスズ会士ロザーヌの地震報告 |
関東大震災 被災・救援・復興の証言
ー渋沢栄一、周囲の群像、財界・政界の中枢ー
続編 地震の観測・研究と地震学の胎動 | |
第一 | ビュフォン著『自然誌』における地球と地震 |
第二 | ミッチェル著『地震の原因と観測に関する推論』ーとくにリスボン大地震について |
旧 版
ホームページ PAST AND PRESENT 永冶日出雄
紀 行 ・ 随 想
大震災善後会で組織的な救済を訴える渋沢栄一
2019年-2021年
執筆・公開の論稿
LINK 〔別稿〕
図説 近代ヨーロッパにおける伝染病と防疫活動
ーアンシアン・レジムにおける伝染病と三代にわたる名医家エルヴェシウス
2011年東日本大震災を契機に歴史地震の研究に手を染め、史料探索の
迷走を重ねています。生涯の貧書生がはじめて論考の対象とする日本人は、
我が国資本主義の父、84歳の渋沢栄一。これに後藤新平などを加え、震災時に
おける財界と政界の中枢、救援事業と復興計画の核心に入ります。
遅々たる探索・執筆の歩みなので、ほぼ書き終えた部分から公開しています。
海洋帝国の首都 リスボン
1755年大地震・大火災で壊滅
テェージョ河畔の高台、サンタ・カテリーナ広場に避難した被災者たち
ジョアン・クラマ 1760年制作 リスボン国立古美術館所蔵
八十歳を超えながら、実業界の大御所
にして、なお社会事業に尽力 渋沢栄一
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