比較研究 (関東大震災1923年=リスボン大地震1755年
 
   リスボン大地震における緊急政策・危機管理・救援事業

  開設 2012/06/28   更新 2024/03/07








     論  文  題  目  初出  更新
 論文第一    リスボン大地震の諸相とモレイラ・デ・メンドンサ著
『世界地震通史』pdf
12/09/01  16/02/06
 論文第二 リスボン大地震とポルトガルの文人ミグエル・T・
ペデガシェ html
   
   第一節 フランスの月刊誌『ジュルナル・エトランジェ』
とリスボン在住の通信員ペデガシェ pdf
12/12/23  16/02/08
   第二節 ペデガシェの画業『地震と火災によるリスボン
荒墟の偉観』
と王都中心部の惨禍 pdf
   同挿絵pdf
12/12/23  16/02/08
   第三節 1 匿名小冊子『リスボン地震に関する正確な報告』
とその著者ミグエル・ティベリオ・ペデガシェ pdf
13/05/07  16/02/08
     2 小冊子『リスボン地震に関する正確な報告』と
明治21年日本地震学会 pdf
13/08/09  16/02/08
 論文第三   イギリス人貿易商とリスボン大地震    
   第一節 貿易商チェイスの震災記録 pdf 13/06/01  16/02/08
   第二節 貿易商ブラドックの震災記録 pdf  13/09/26  
 論文第四   オラトリオ会聖職者ポルタルのリスボン震災詳述    
 第一節 聖霊修道院 聖職者・居住者の受難 pdf    
   第二節 聖霊修道院 建築、装備、祭具の焼尽 pdf     
   第三節 ペレイラ渓谷山荘における避難pdf    
 論文第五   イギリスの貴族・貴紳とリスボン大地震    
   第一節 牧師リチャード・ゴダールとゴダール=ブランフィル
=ジャクソン商会pdf
   
   第二節 ドラムランリッグ伯爵とクインズベリー公爵夫妻pdf  14/01/22 16/02/16
   第三節 収税長官フランクランドと美女アグネス・スリヤージェpdf  14/01/29  
   第四節 貿易商ベンジャミン・ファーマーと銃製造業ファーマー
=ゴルトン社 pdf
   
 論文第六    学僧フィゲイレドの震災実録および政事日誌  
   第一節  リスボン震災・火災実録 pdf 13/11/21  16/01/26
   第二節  ポルトガル政事日誌pdf    
 論文第七   ローマ教皇庁とリスボン大地震   
   第一節 ローマ教皇大使アシエウリの通信pdf 14/11/07  
 論文第八   リスボン大地震とイギリスの国際関係    
   第一節 スペイン駐在イギリス大使ベンジャミン・キーンpdf    
 論文第九   リスボン大地震におけるポルトガル王権の緊急政策と
社会各層の救援活動 html
   
   第一節 リベイラ王宮の壊滅とポルトガル王権の緊急政策 pdf 15/08/06 16/03/11 
   第二節 緊急政策と救援活動の開始 (大地震前日-震災第三日)pdf 15/08/06 16/03/11
   第三節 緊急政策と救援活動の推進 (震災第四日-震災第五日)pdf 16/02/15 16/03/11
 史料第一   モレイラ・デ・メンドンサ著『世界地震通史
ーリスボン大地震』(第二部)邦訳 pdf
   
 ながや ひでお 永冶日出雄  

          論            題
頁数  
論稿六の一 ジャマイカ地震1692年 (イギリス領その一)pdf   44  
論稿六ノ二 ニューイングランド地震1727年(イギリス領その二)  
  第一章 マサチューセッツ最高法務官ダドリーの地震報告ーロンドン王立協会への寄稿 pdf 15  
  補論 ダトリー家族史ーピューリタンの歴史とニューイングランド建設pdf
 6  
  第二章 ニューイングランド居住者の王立協会寄稿pdf  10  
  第三章 ニューイングランド聖職者の地震説教ー大地震の衝撃と破滅からの救済  64  
論稿六の三 ペルー地震1746年(スペイン領その一)  
第一章 スペイン海軍将軍オバンド侯爵の震災書簡pdf 12  
  第二章 イエスズ会士ロザーヌの地震報告    

左上 博覧会場跡の池之端
    臨時救療所
右上 上野の産院別室
左下 上野臨時外来診療所
右下 東京市役所門前での
    避難民
(『東京市震災衛生救療誌』)

黒田清輝画「梅林」1924年(上野、黒田記念館)
      リスボン大地震1755年ー近代ヨーロッパの社会的震撼 第六輯 (特論) 
   大航海時代の巨大地震と海洋帝国
    
  リスボン大地震1755年 第三輯 緊急政策・危機管理・救援事業 頁数  
論稿三ノ一 絶対王政の統治機構と緊急政策の基底 PDF 29  
論稿三ノ二 緊急政策の開始ー大地震前日から震災第三日まで PDF 124  
論稿三ノ三 緊急政策の推進その一  震災第四日・第五日 PDF 115  
論稿三ノ四 緊急政策の推進その二  震災第六日・第七日 PDF 73  
論稿三ノ五 緊急政策の展開その一 震災第八日から第十日まで PDF 52  
 論稿三ノ六 緊急政策の展開その二 震災第十一日から第十三日まで PDF    

HOMEPAGE 

図説 黒田清輝と関東大震災

http://hnagaya.net/index.html

関東大震災      101周年
リスボン大地震    269周年
東日本大震災      13周年
能登半島地震     本年

  

「この年11月に人類が体験した地震は規模の大きさに
よって後世のあらゆる世紀に想起されるであろう。
なぜなら、その影響は遺憾にもきわめて多くの地域に
及び、アジアのみが免れたからである。多くの悲惨な
事実が念頭に浮かび、それらの膨大さ、多様さ、深刻さ
が仔細に語るのを私に躊躇させる。だが、災厄の一端を
語るだけでも、巨大な全貌を知る手掛りになるかもしれ
ない。」
     モレイラ・デ・メンドンサ著 
『世界地震通史ーリスボン大地震』 リスボン、1758年 

研究者登録 ReadResearch
この年11月に人類が体験した地震は、規模の大きさ
によって後世のあらゆる世紀に想起されるであろう。
なぜなら、その影響は遺憾にもきわめて多くの地域
に及び、アジアのみが免れたからである。
 甚大な被害を蒙った地域の第一はポルトガル王国、
とくに国王陛下の王宮を擁し、殷富で人口稠密な
都市リスボンである。
      モレイラ・デ・メンドンサ
    『世界地震通史ーリスボン大地震』
  リスボン大地震 1755年ー近代ヨーロッパの社会的震撼ー

八十歳を超えながら実業界の大御所として社会事業にに尽力し、関東大震災の救済・復興に参画した。

メールをお寄せください

啓蒙思想をたずねて —フランス 1778年=1978年 『哲学と現代』第4号  1979
プラタナスの木陰で —パリの大学・フランスの学芸 『哲学と現代』第6号  1982
ヨーロッパの学界とルソー=ヴォルテール没後200年 『教育学研究』第45巻第4号  1978
エルヴェシウスー知られざる哲学者への旅路  松島鈞編 『現代に生きる教育思想』  1981
ソルボンヌ 1979-1980年 『教育哲学研究』第43号  1981
ヨーロッパの学界とディドロ歿後200年 『日本18世紀学会年報』第1号  1986
ジュネーヴから日本の友へ —史料探索の哀歓 『日本教育史研究』第2号  1983
弾圧した側の記録 —パリから日本の友へ 『日本教育史往来』No.51   1988
 オンタリオ湖のほとり トロント大学の夏  愛教大教職員組合ニュース  2000

  巨大地震の発生 
1755年リスボン市街地

リスボン大地震に伴う津波の規模
図中の数値は各地への到達時間

 図説  リスボン大地震通覧 ーモレイラ・デ・メンドンサ著
『世界地震通史』と往事ポルトガルの絵図html

   
 図説  貿易商トマス・チェイスの被災証言と避難経路html     
 図説  紀行 リスボン大地震を辿るhtml    
 随想  リスボン大地震を追ってーロシオ広場とサン・アンタオ門街    

現在の研究課題

カルチェ・ラタンの熱気 —〈哲学者たち〉の若き日  1982
ジュネーヴの夏祭り —文化と民族への出会い  1989
フランス国立図書館で  1991
インド映画に惹き寄せられて  1998
シネマ探索 世界への旅 —現代の映画と学生の関心  1997
パリ映画探索 1997年盛夏 —例会報告その後  1997
  続編  大震災の艱難と残照
第一 ポルトガル王家の被災と王妃マリアナ・ヴィトリアの書簡 PDF
第二
海神イザベル・ファルネーゼ王妃と奇蹟のカストラート歌手ファリネリ PDF
第三 ポルトガル宮廷の栄華と新王立歌劇場の全壊 PDF
第四 震災後の名歌手ラーフとモーツアルトの歌劇『イドメネオ』 PDF
第四 補論 十八世紀の音楽療法といわゆるモーツアルト効果の根源 PDF
第五章  九月五日 財団法人協調会への救済要請 20  
第六章  九月六日 震災救援事務局と後藤新平の采配 14  
補説第五 渋沢家系の震災記録ー渋沢元治および石黒忠悳       
第七章  九月七日 遷都論への対処と埼玉救護団の始動 19  23/06/12
           第二部 組織的な救援事業ー大震災善後会    
第八章  九月八日 貴衆両院からの協力と在日外国人への支援  16  
第九章  九月九日 救済機構への協議と天誅論の吐露 20  23/08/27
第十章   九月十日 有力実業家の善後会準備 14  23/08/21
第十一章  九月十一日 大震災善後会の成立と運営 13  23/08/13
補説第六 傷病者・産婦・高齢者の被災証言ー臨時診療所の調書    24/02/06
第十二章  九月十二日 遷都論の阻止と詔勅の渙発  14  23/09/01
第十三章 九月十三日 大震災善後会の被災地視察
15  23/12/14
補説第七 黒田清輝と関東大震災
33 24/02/06 
補説第八 実業家和田豊治と関東大震災    
         関東大震災 被災・救援・復興の証言
      ー 渋沢栄一、周辺の群像、財界・政界の中枢ー
 頁数  更新(未完)
              第一部 大震災の勃発と救援活動の開始    
第一章  九月一日 日本橋兜町の激震と渋沢栄一の被災 39  23/08/21
補説第一 金融界中枢の火災ー第一銀行と日本銀行の防衛 22  
第二章  九月二日 飛鳥山での避難と危機管理の提起 17  
補説第二 渋沢関連企業と大震火災ー帝国ホテルと渋沢倉庫 27  (23/08/20)
第三章  九月三日 地元避難民への支援活動と海外からの見舞 24  23/10/26
補説第三 政局への震撼と救済・復興内閣の成立 24  
第四章  九月四日 救済政策の開始ー渋沢栄一と後藤新平の連携 14  
補説第四 大震災における皇室の対応と施策 14  24/02/07

まずは ここからご瞥見ください。
LINK 『 図説 リスボン大地震通覧 』
http://hnagaya.net/top.html

兜町の渋沢栄一邸=渋沢事務所、憲法発布の前年に竣工
強震に耐えたものの、延焼により潰滅

関東大震災  被災・救援・復興の証言

 ー渋沢栄一、周囲の群像、財界・政界の中枢ー

1
補説第六 傷病者・産婦・高齢者
の被災証言ー臨時診療所の調書 PDF

 2011年東日本大震災を契機に歴史地震の研究に手を染め、史料探索の
迷走を重ねています。生涯の貧書生がはじめて論考の対象とする日本人は、
我が国資本主義の父、84歳の渋沢栄一。これに後藤新平などを加え、震災時に
おける財界と政界の中枢、救援事業と復興計画の核心に入ります。
 遅々たる探索・執筆の歩みなので、ほぼ書き終えた部分から公開しています。

補説第七 黒田清輝と関東大震災

                旧   版
ホームページ PAST AND PRESENT  永冶日出雄
 

紀 行 ・ 随 想

関東大震災 1923年 神田・日本橋付近全景

  海洋帝国の首都 リスボン 1755年大地震・大火災で壊滅

LINK  論文集成 リスボン大地震 
ー 近代ヨーロッパの社会的震撼 ー
 
(2021年8月に再編) http://hnagaya.net/ater

大震災善後会が視察・救済した傷病者等の窮状と治療

LINK 〔別稿〕 
図説 近代ヨーロッパにおける伝染病と防疫活動

ーアンシアン・レジムにおける伝染病と三代にわたる名医家エルヴェシウス
   
 

総合研究 リスボン大地震 1755年ー近代ヨーロッパの社会的震撼ー
      RESEARCH PROJECT PROCEEDING : LISBON EARTHQUAKE 1755

リスボン大地震1755年 
緊急政策を推進する宰相ポンバル侯爵


有力実業家と貴衆議員代表が連携する大震災善後会。
組織的な資金援助を訴える発起人渋沢栄一


絵画「湖畔」によって著名な黒田清輝は1923年9月関東大震災が勃発するや、貴族院議員として被災者への視察・救済を統率し、同年12月激務のため倒れた。病室で描かれた「梅林」(未完成)が彼の絶筆である。

テェージョ河畔の高台、サンタ・カテリーナ広場に避難した被災者たち
ジョアン・クラマ 1760年制作 リスボン国立古美術館所蔵

学術論文集成 永冶日出雄 (目次詳細)html